フリーターになった日
4月1日。大半の同級生が新社会人としての生活をスタートする中、僕のフリーターとしての生活が始まった。
Twitterやはてブでは、新社会人へのアドバイスみたいなのが時折話題になっている。
「嫌な上司に当たったら受け流せ」「こんな研修があったらヤバイ?ブラック企業の見分け方」 など、まずマイナスへの対策から提案されるのってどうなん…と思ってしまうがこれが今の日本の働き方の現状なんだろうか。
フリーターでいることは、今のところとても楽だ。
朝から満員電車に乗ることもないし、出たくもない入社式に参加する必要もない。
元号の発表もしっかりとテレビで見ることができた。
ただ、この楽な生活はたぶんながく続かないと思う。
税金や奨学金に追われ、苦しい生活を送ることになるかもしれない。
税金を収めることは多分大切なことなんだろうだけど、自分にはもっと大切なことがある。
それは人生を楽しむことだ。
こないだ買ったCDがめちゃくちゃ良かったとか、たまたま入ったお店が美味しかったとか、そんな小さなことでいい。
小さな幸せを大切にして、大きな不幸をなるべく避けていきたい。
「やりたいことをやる」とかそういう大層なもんじゃない。「やりたくないことをできるだけやらない」の方が近いかもしれない。
「自分のわがままを社会に通す」ということに近いのかもしれない。
これから辛いことも楽しいこともあるだろうけど、少しずつ前に進んでいきたい。
3.11 〜中学生だった私の思い出〜
こんにちは(こんばんは)
なんか〜卒業の歌〜みたいなタイトルをつけてしまいましたが、東日本大震災を体験した2011年、3月11日の思い出を備忘録的に書いてみたいと思います。
確か、あの日は曇りの日だった気がする。どんよりした空気で寒くも暖かくもないような天気。
地震が発生した午後14時46分、ぼくは放課後の掃除をサボっていた。
その日だけじゃない、ほぼ毎日の掃除をトイレや廊下、非常階段など様々な場所に隠れてサボっていた。
その日、たまたま掃除をサボっていた場所はベランダだった。
ベランダでサボる事あるか?と今は思うが、本当にベランダで掃除が終わるまでぼーっと外を眺めていたりしたんだからしょうがない。
担任だった先生にサボっていることがバレて、教室に呼び戻された時、「グラッ」と揺れる感じがした。体験した事のない大きさ、のようだった気がする。あまり覚えていない。
なぜはっきり覚えていないか。
その理由はなぜか。
他クラスの友人が「お前は俺が守る!!」といまどき恋愛ドラマの主人公しか言わなそうなセリフを口にしながら、ぼくに腕ひしぎ十字固めをかけてきたからだ。
見事に関節技を決められたぼくは、尋常じゃない様子で揺れる窓ガラスを見て
「あ…このまま死ぬかも。」と命の危険を感じた。
揺れがおさまると、何人かのクラスメイトが泣いていた。
関節技がとかれたぼくが再びベランダに戻ると(こいつベランダ好きだな)同じ学年のヤンキーが校庭へ真っ先に避難してるのを発見した。
豆知識;ヤンキーでも地震は怖い。
その後校庭に全校生徒が避難し、しばらく様子をみることになった。
数分もすれば、退屈してしまうのが中学生の性。
泣いている生徒を横目に、ぼくらは校庭に土俵の線を描いて相撲を始めた。
たぶん、先生に怒られてすぐやめた。
しばらくして家に帰った。近所の仕事場から避難してきた母親が家の前で待ち構えていた。ぼくの顔を見て安心したようで、泣いていた。
母親の勤めているショッピングモールはとても揺れて怖かったらしい。
そういえば、ぼくの通っていた中学校は地震の1年前に耐震工事を行なっていた。
テレビをつけると、ちょうど津波が押し寄せる頃だった気がする。
ただ、いろんなものが流されていく様子をテレビでみて、感じたことのない気持ちになったのは覚えている。
その後、帰宅困難者が多数発生するなど、めまぐるしく変わっていく状況をテレビで見ていた。
母以外の家族はその日、帰ってこなかった。
夕方、親戚から電話が来た。
東北で観光船をやっている大叔父さんと連絡がとれなくなったらしい。
連絡を受け、大泣きする母を見て「まだ死んだと決まったわけじゃないのに」と思った。
結果、大叔父さんは生きていた。
地震発生後すぐに船を出し、海の上で津波をやりすごした?らしい。
その後のことはあんまり覚えていない。
だけど、計画停電が起きたときのことはよく覚えている。
真っ暗な中、停電が起きてなかった隣町の塾に行ったこと。停電中、暇すぎていろんな人とメールをしまくったこと。
しょうもないかもしれないけど、これがぼくの震災の思い出。
とても呑気で、何も考えてなくて…
あの日の気持ちを、忘れずに生きていたい。
意識の低い学生っていうけどさ、結局その理由はなんなんだ?
こんばんは。
はてブで就活に関するある記事が盛り上がっていたので、就活生の立場から自分の考えを書いてみたいと思います。
記事の内容を大まかに説明すると、「近年の就活前倒しの傾向により、3月1日の就活解禁の時には優秀な学生がほとんどいない。」といったことが書かれています。
記事の文中、意識の低い学生の実例としてこんな話が
質問(1)「御社の年間休日は何日ですか?」
質問(2)「TOEICは何点取っていれば大丈夫ですか?」
質問(3)「もし面接で、御社とライバル企業の違いを聞かれたら、私は何と答えるべきですか?」
上記の質問についてみなさんどう思いますか?「退屈な質問だな…」と思われた方も多いかもしれません。「別に普通の質問なのでは?」と感じる方もいるでしょう。
さらに記事の中では、この質問が何故ダメなのかについて説明されています。
さて冒頭の質問だが、就活生が聞くと、人事は次のように考えることがほとんどだ。
質問(1)「御社の年間休日は何日ですか?」→仕事の中身より先に、休むことばかり考えている。仕事のやる気はあるのだろうか?
質問(2)「TOEICは何点取っていれば大丈夫ですか?」→TOEICの目標点数はサイトに出ているのに、事前に見てないんだな……。
質問(3)「面接で、御社とライバル企業の違いを聞かれたら、私は何と答えるべきですか?」→なぜ、それを教えてもらえると思うのだろう? 自分自身でリサーチし、考えるべきことでしょう。
??
この回答には納得いきませんね…
(1)について、もちろんWEBサイトなどで公開されている場合が多いのでこの質問はあまりいいものではないかもしれません。
しかし、「休むことばかり考えているからダメだ」みたいな回答はおかしくないでしょうか?
就活生側にとって、働く会社の年間休日が気になるのは当たり前のことですよね…。
企業も、"選ばれている側"なんだという意識が低すぎませんか?
もしかして、意識低い系??(すみません)
(2)「〇〇だったら大丈夫ですか?」といった質問は、人事側が回答に困ってしまうのもわかります。この世には例外がいっぱいありますからね。
先ほどもいったように、WEBサイトで公開されているような情報を聞き出すのは企業への興味関心度がモロにわかってしまうので就活生は避けたほうが無難?なのかもしれません。
しかし!!
逆に考えてみればですよ。
その程度の情報も知らない、WEBサイトもみたことないような学生がその企業に興味を持ってくれているんじゃないですか!!
新たな採用のチャンスです、とポジティブに捉えることはできるのでは。
(3)については、ちょっと難しいですね。
集団の説明会でこれを言っている人がいたら驚きます…とだけ言っておきます。
なぜ、こういった質問がでてきてしまうのか?
それは私たちが受けてきた教育文化にあるのではないかと考えました。
小学校や中学校の授業で、積極的に発言をしたほうがえらい!みたいな文化がありませんでしたか?
発言したら加点する、みたいな先生はいませんでしたか?
つまり就活もそれと同じで、「質問したほうが企業に興味がある、いいイメージが残せる」そういった考えが就活生の中にあるのではないかと思っています。
その考えが正しいかどうかは、私にはわかりません。
しかし、「そういった質問しなきゃ…!」
みたいな文化が質の低い質問を生み出している要因の1つではないかと思います。
ここからは余談ですが、本日説明会参加してきました
もちろん質疑応答の時間はあります。
覚えている限りだと
- 社内にどんな人が多いですか?社風はどんな感じ?
- 今後の事業はどれを主流にしていく?
- 今までで1番の会社がピンチだった出来事は?
- この会社に入ったきっかけ
みたいな感じの質問が多かったです。
20人弱ぐらいの説明会だったんですが、結構質問って途切れないもんですね。
発言していた学生は緊張もあったせいか、必死に難しい質問をしようとしていた印象がありました。
面接や説明会などで必ずといっていいほど質疑応答の時間を設けられますが、企業側はなにを求めているんですか?
教えてえらい人〜〜!!!!
まじかアキバのチャリ鍵
こんばんは〜。
コンビニでお金を下ろすとき、いつもクレジット取引のボタンを押しちゃってやり直しになる人、mamewagです。
…
…
最近あった事を話します…
え…?
まだあるんかい!!
以上、本日のアキバ情報でした。
私の父は無趣味
「こうなりたい」と未来を思い描くよりも、「こうなりたくない」と強く願っていることが多い気がする。
定年を数年後に控えた私の父親は、これといった趣味もなく月に数回しかない休みをYoutubeで文字が流れる動画を見ながら過ごしている。
50代にして友達も休みも趣味もない。そんな父親を見て育った私は「絶対こうなるもんか」と休みの多い公務員を志望したり、ダーツや音楽鑑賞、インターネットなど一生続けられるような趣味を探してみたりもした。
しかし今の所、趣味がなにかに結びついたりすることもないし、公務員にもなれなかった。
結局、私が父と同じ年齢になるころには無趣味のつまらないおじさんになるのかもしれない。
ここまで父のことを散々に書いたが、父と私に決定的な違いがある。
それは、父に家庭を支えていく覚悟があったことだ。
私が生まれる前、20代の頃の父はサーフィンを趣味としていた。
友達もたくさんいて毎晩ディスコで遊んでいたと聞いたことがある。
そんな父が、こんなにも変わってしまったのか。
結婚して子供ができ、社会の荒波に揉まれ、家庭を支えていくうちに自分を犠牲にしてしまった結果が今の姿なのかもしれない。
私は、父のように家庭を支えていく覚悟を持っていない。
自分の楽しみを犠牲にしてでも、家庭を支え、私を大人になるまで育てたことは本当にすごいと思う。
私は父のようにはきっとなれない。
お父さん、ありがとう。
最近の出来事
インスタでフォローしてる、漫画家の人がオススメしてたアイスを食べた。めちゃくちゃ美味しかった。
花粉で目が痒すぎるので目薬を買った。
有効成分が全部毒々しい名前だったのが気になる。
めちゃくちゃちっさいチャリがマンションの1階に置いてあった。誰が乗るんだろう。
インテリアなのかな。
今日もアキバのチャリ鍵
昨日に引き続きバイト。
花粉のせいで、めちゃくちゃ目が痒かった。明日から絶対に家から出ないで酒を飲む生活を実行したいと思う。
そういえば昨日のチャリ鍵どうなってる…?
と思って帰り道に寄ってみると
未だご健在でした。